先生をぎこちなく抱きしめる俺


当時、俺は特に暗いわけでもなく、かといってクラスの中心的存在でも無いごくフツー の高校3年生で、年相応に色気づいて身だしなみなんかには気を使い始めていたものの、実際に女と話しをするのは苦手(赤面症)という奥手な高校生だった。
異性を巡る華やかな出来事には縁がなく、不満はないけど満足感には欠ける少なくとも 青春真っ盛りという生活とはかけ離れた毎日を過ごしていた。
一方、勉強面はといえば、私立で一応進学に力を入れていた学校だったから、そっちの 方面はそれなりに忙しかった。
特に3年になると正規の授業の他に「補講」と呼ばれる週2回放課後に実施される受験
対策の補習が始まって、補習当日は特別な用事のある生徒以外は各自が事前に選択
した科目を受講することが半ば義務付けられていたりもした。

その補講で俺は英語と古典を選択していた。
大抵は主要教科である英語や数学、あるいは社会や理科の選択科目を組み合わせて
受講する生徒が多く、古典を選択するっていうのは少数派だったんだけど、俺は元々
古典が苦手だったことと、古典の担当教諭が実は俺が密かに憧れていたクラスの副担任の先生だったこともあって、俺は殆ど迷うことなく古典を受講科目に選んでいた。
つまり俺としては補講を通じて副担任の先生と多少なりとも親しく話せる機会があれば
いいなーというやや不純な動機もあったってわけなんだ。

その先生の名前をここでは一応由紀先生としておく。
由紀先生は当時おそらく25~26歳で、細身で一見すると大人しそうなお姉さん系の先生だったんだけど、実際は見た目よりもずっとハッキリとした性格で、授業中の男子生徒のH系のツッコミなんかにも動じることが無く、良く通る声と体に似合わない筆圧の強い大きな文字で板書するのが印象的な先生だった。

校内では数少ない若くて見た目の良い先生だったから、男子生徒から人気があっても
おかしくなかったんだけど、当時の俺達からすると気軽に友達感覚で話しかけられるっていうタイプの先生ではなかったせいか、俺みたいに密かに憧れてるって奴はいたかもしれないけど、表向きはそれほど目立って人気があるって感じではなかった。

補講は放課後16:30くらいから行われていたと記憶している。
古典を選択する生徒は予想通りそれ程多くなくて、出席するのはたいてい7・8名。
俺としては少人数の授業で必然的に由紀先生と話しをする機会は増えるし、休憩時間の
他愛の無い雑談なんかを通じて、今まで知らなかった由紀先生の性格や嗜好を知ることができたり、あるいは授業中とは少し違う素に近い由紀先生の表情や仕草なんかを発見することができたりして、それだけで結構な満足感を覚えていた。

当時の恋愛経験の乏しい俺からすると、憧れの由紀先生と仲良くなると言えばせいぜい
これぐらいが限界で、更にそこから進んで由紀先生とリアルな恋愛関係になるなんていうのは想像すら出来ないというのが実際のところだった。

でも、そんなありふれた日常を過ごしていた俺の心境に変化をもたらす出来事は、ある日唐突に起こったんだ。

夏休みが終わって間もない9月の中頃、その日たまたま進路のことで担任に呼び出されて いた俺は、放課後誰もいなくなった教室で一人帰り支度をしていた。
西日の差し込む蒸し暑い教室で、俺が帰ろうとしたその矢先、突然由紀先生が教室に入ってきた。

「あれ、佐野君(俺)まだ帰ってなかったの?」
「はぁ、これから帰るとこ・・・ちょっと○○(担任)に呼ばれてて・・・」
「そうなんだ。で、勉強の方は順調に進んでるの?」
「んー、いまいちかなー。今も絞られたし。それより先生はどうしたの?」
「私は放課後の見回り。いつも3年生の教室は私が見回ってるのよ。誰か悪さしてるのはいないかって。だからあなたも早く帰りなさい。」

日頃、補講で顔をあわせていることもあってか、由紀先生は結構気安い調子で話しを続けてきた。
「ところで志望校は決まったの?」
「うーん、まだハッキリとは・・・、やっぱり成績次第だし」
「そうかー。でも大学って入ることよりも、入った後のほうがずっと大事だからね。今よりも世界が広がるし、楽しいことも多いよ。だから今は大変でも頑張って勉強しないとね」
「それは分かってるんだけどさ・・・。ねぇ先生は大学って楽しかった?」

俺は教室で由紀先生と二人きりというシチュエーションにかなり胸をドキドキさせつつも、それを気取られないよう、なんとか短い言葉で会話をつなげた。

「私は楽しかったよ。勉強もしたけど、色々なところに遊びに行ったし、色々な人とも知り合えたし。だから佐野君もこれからきっとそういう良い経験が沢山出来ると思うよ」

俺が緊張でドモリそうになるくらいドキドキしてるっていうのに、由紀先生は当たり前とはいえいつもと口調が全く変わらない。
それにいつもそうなんだけど由紀先生は人と話しをする時に、殆ど視線を逸らさずに真正面から見つめてくる人なので、俺は射すくめられるような気がして余計気が動転してしまう。

「色々な人かー・・・。先生は大学の時に彼氏とかいたの?」
図らずも由紀先生と二人きりの状況になり、それ故の緊張感からか俺は舞い上っていて、つい普段から気になっていた由紀先生の男関係の質問を率直に尋ねてしまった。
今思えば何でいきなりそんなことをって思うけど、多分あの時は精神的にいっぱいいっぱいだったんだと思う。

「うーん、それは言えないなー。そういう話しをすると○○先生に怒られちゃいそうだし。
でも別にいたとしてもおかしくはないでしょ。悪いことじゃないんだし。」
多少驚いた表情を浮かべたものの、案の定さらっと受け流す由紀先生。
「でもそう言うってことはいたんだ。」
と、笑いながらも少しショックな俺。

「んー、だから内緒だって。でも佐野君だってこれからきっとそういう人が現れると思うよ。それとももうそういう人いるんだっけ?。」
「いやいや俺はそういうの全くだめだから。俺、全然モテないし。」

別にことさら卑屈な言い方をするつもりはなかったんだけど、それまで異性に告白をしたりされたりということはおろか、そもそもさしたる恋愛経験すら無いことに日頃から引け目を感じていた俺は、ついそんなコンプレックス丸出しのセリフを口にしてしまう。

「もー、そういうことは自分で言っちゃだめでしょー。大丈夫だって、もっと自信を持たないと」
由紀先生が、しょうがないわねー、みたいな口調で俺を嗜める。
「いや、自信たって俺本当にそういうのダメだし。それに今までだってそういうの全然ないしさ」
「でも、だからってそういう風に言ってても始まらないでしょ。情け無いよ。全く。」
「いや、でも・・・」
「あのねっ」
情け無いセリフ続きになってしまった俺の言葉を由紀先生が強引に遮る。
さっきよりも少しだけ言葉の勢いが尖っていた。

「あのね、そういう情けないことは自分で言っちゃだめなの。物事って考え方ひとつで全然変ってくるもんだし、そんなこと言ってても良いことなんて何もないでしょ。分かってる!?」
「・・・」

「それにね、あなた自分ではそんな風に言ってるけど、私は佐野君はそんなに悪くないと思うよ。
確かに△△君(同じクラスのバスケ部キャプテン。こいつはモテモテ)みたいな感じとは違うけど、真面目だしちゃんと相手のことを考えてあげられる人だし・・・。いつだったか補講で古典の全集を沢山使った時も、その日私が体調が良くないって言ってたら、授業が終わった後に何も言わずに図書室に戻しておいてくれたことがあったでしょ。ああいう心遣いってちょっとしたことでもやっぱり女の人は嬉しいもんなんだよ」

「・・・でもそういうのは当たり前のことだし」
「だからそうじゃなくて、そういうことが自然に出来るってことが大事だって言ってるの。女の人も大人になると見た目のことだけじゃなくて、男の人の全部を見て判断するようになるんだから。私は佐野君は大人になったらモテるタイプだと思うよ」

今思えば、これは今ひとつ褒められていないような気もするんだけど、由紀先生は叱るとも諭すとも 言えない口調で俺のことを励ましてくれた。
言葉の端々から由紀先生が真剣に言ってくれているっていうのが伝わってきたし、俺からするとそれを言ってくれたのが由紀先生だっていうことが何よりも嬉しかった。

この時期の俺にとって、異性に興味を持ちつつも実際には縁の無い生活をしているというのは、単純にコンプレックスというだけでなく、将来自分も人並みに彼女が出来たりすることはあるんだろうかみたいな漠然とした不安の種でもあったんだけど、由紀先生にそう言ってもらえたことで、 自信という程では無いにせよすごく気は楽になったし、古典の全集の件も喜んでくれていたんだと思うと嬉しくて、俺はなにか居ても立ってもいられないような心持ちになった。

「わかった。じゃあもし誰も相手してくれなかったら先生に相手してもらおうかな」
俺は何を言えばよいかわからなくなってしまい、精一杯のベタな憎まれ口を叩いた後、「じゃ、帰る」
と言って教室を出た。

「ちゃんと勉強しなさいよ。今はそっちの方が大事だよ!」
後ろから由紀先生の声が降ってくる。
その声を背中で聞きながらも、俺の頭の中では由紀先生の「佐野君はそんなに悪くないと思うよ」という言葉がぐるぐると駆け巡っていた。
体の中でアドレナリンが噴き出すってこういうことを言うのかってぐらい体が熱くなるのを覚え、今にも走り出したくなるような衝動を押さえながら俺は家路を急いだ。

冷静になって考えてみれば由紀先生の言葉は情け無い生徒を励ますための社交辞令だったのかもしれないし、会話そのものも取るに足らないものだったかもしれない。
でもそんな言葉であっても当時の俺にとって舞い上るには充分すぎるインパクトだったし、何よりもこのことをきっかけに俺にとっての由紀先生は、単なる憧れの先生から本当に好きな一人の女性へと一気に変化していった。

恋愛経験の少ない俺にとって由紀先生の言葉はあまりにも刺激が強すぎて、俺はあっという間に恋に落ちてしまったんだ。

由紀先生との放課後の一件があって以来、俺はほんの少しだけど変わったと思う。
勉強は由紀先生のことを考えてしまい逆に手に付かなくなってしまったりもしたけど、それでも俺なりに真面目に取り組んでいたし、日常生活でもちょっとだけだけど自信の様なものが芽生えた様な気もしていた。

一方、補講に関しては、クラス担任から古典以外の他の科目を選択するよう命じられて由紀先生の講義を受けることが出来なくなってしまうという事態に陥った。
といってもこの補講は通常の授業とは違い、受験対策の演習や解説を繰り返し行うのが特徴だったから、受講してる生徒も一通りの内容を終えると別の科目に選択替えすることも珍しくなく、むしろ俺みたいにずっと同じ科目を選択したままの方が少数派で、仕方が無いといえば仕方が無かったんだけど・・・。

当初、俺は由紀先生の補講が受けられなくなるのが嫌で、「俺、古典苦手なんで」とか「家では古典の勉強しないから補講で補ってるんです」とか言って誤魔化していたんだけど、ついに担任から由紀先生に直接俺の科目移動が命じられ、俺は由紀先生から引導を渡されることになってしまった。

「佐野君ちょっといい?今日ね○○先生から呼ばれたんだけど」
ある日の補講の開始前、俺はそう言って由紀先生に話しかけられた。

「あ、科目移せって言ってたんでしょ?」
「そう。社会の選択か英語の長文読解を受けさせたいって言ってたよ」
「何だかなー。そういうのは自分で決めるっつーの。何だよまったく・・・」
「でもね、私もそうしたほうがいいと思うよ。だって佐野君だいぶ古典の成績も上がってきたみたいだし、これからの講義は今までやってきたことを繰り返す部分が多いから、時間がもったいないっていうのは確かにあるからね・・・」

由紀先生の口調はごく普通の事務的な感じで、俺はちょっと寂しさを感じた。
ただ俺としてもこれ以上古典の受講に固執して周りから変に思われるのも嫌だったし、何よりもここで断れば今度は由紀先生に迷惑がかかりそうな気がして、やむなく俺は指示に従うことにした。

「わかった。でも俺もっと由紀先生の補講受けたかったんだけどなー」
放課後の教室の一件以来、俺は照れ臭さもあって、由紀先生と親しく話す機会は殆ど無かったんだけど、この時はたまたま周りに人がいなかったことと、どうも由紀先生の素っ気無い口ぶりが気になって、俺はわざと拗ねる様な言い方をしてみた。

「何を甘えたこと言ってんの。。あなた受験生なんだから仕方ないでしょ。それに古典で分からないところがあればいつでも教えてあげるんだから、他の科目も頑張りなさいよ」
ここで冷たい対応されたら嫌だなと思ったけど、由紀先生は俺の言い方を嫌がる風でもなく、笑いながらいつもの調子で受け止めてくれて、俺は少しホッとした。

「そんなこと言われたら、俺毎日質問しに行っちゃうかも。」
「いいよー別に。でもその分成績は上げないとダメだからね。それと質問は国語のことだけね。
前みたいに彼がどうとか言うのは禁止だからね。」
「でもそういうことのほうが聞きたいんだけどな。」
「何言ってんの。」

久し振りの由紀先生との会話に嬉しくなって軽口を叩く俺に対して、由紀先生は笑いながら少し怒った
ような表情をすると、軽く俺の頭を小突くような真似をした。
科目を移動することになったのは残念だったけど、俺は由紀先生と僅かとはいえあの放課後以来の
親しげなやりとりが出来たことと、あの時の会話を由紀先生が覚えていてくれていたことが嬉しくて、
ちょっと大袈裟に由紀先生から逃げる振りをしておどけた。

やっぱり俺は由紀先生が好きだぁ・・・
俺はこの時とばかりに由紀先生のことを見つめながら、そんなことを改めて考えていた。
その頃から受験の時期まではあっという間だった様な気がする。
由紀先生はクラスの副担任だから毎日顔は合わせるものの、その後は特に親しく話しをする機会には恵まれず、俺としても心なしか由紀先生が俺のことを気にかけてくれているんじゃないかという気配を感じたりはしたものの、それは単に俺の方が気にしているからそう感じるだけという気もしたし、結局のところそれを確かめる術も機会も無いまま、いよいよ季節は受験シーズン本番へと突入して行った。

その頃の俺はといえば相変わらず由紀先生のことを考え悶々としてはいたものの、さすがに今は
勉強を優先しないとまずいと思う一方で、受験さえ終わればその時は玉砕覚悟で由紀先生に
自分の気持ちを伝えたいとも思うようになっていた。
当時の俺にとって、由紀先生は初めて本気で好きになった女性といっても過言ではなく、その人に
自分の気持ちを伝えること無く卒業してしまえば、後で絶対に後悔するという気がしていたし、
むしろそういう取り返しのつかないことだけは避けなければという気持ちが何より強かったように思う。
何をするにしても積極性とは縁のない俺ではあったけど、このことだけは間違っちゃいけない、
間違ったら絶対に後悔する、経験地の低さゆえか俺はそんなことをやや大袈裟なぐらい考え、一人気持ちを昂ぶらせていた。

「本当に気持ちを伝えられるのか・・・」
「いくらなんでも勘違いしすぎ・・・」
「相手にされるわけ無いし・・・」
「でも、ひょっとしたら・・・」
告白するなどと意気込みつつも、こんな風に由紀先生に対する様々な気持ちを錯綜させながら受験直前の日々を過ごしていた俺に、小さくも強烈な爆弾を投下したのはやっぱり由紀先生だった。

入試を一週間後ぐらいに控えたある日の教室で、
「ちょっと渡したいものがあるから職員室まで来てくれる?」
俺はほんとに何気ない調子で由紀先生に声をかけられた。

周りには普通に友達もいたけど、その頃は誰とは無く入試対策用のプリントなんかを取りにくるよう呼び出されたりすることが珍しくなかったので、その時も特に誰も気に留めることは無く、俺も内心はともかく見た目は普段どおりの感じで由紀先生と教室を出た。

職員室に向かう廊下を歩きながら、久し振りに由紀先生と話しをする。

「いよいよ試験だね。調子はどうなの?」
「まぁ、なるようになるとしか言えないかなぁ。」
「ちょっとー、ほんとに大丈夫なの?最後まで気を抜かないで頑張らないとダメなんだよ」
「うん。分かってる」
試験が終われば由紀先生に俺の気持ちを伝える。
俺は試験以上に、そのことを考えると身が引き締まるような気がして、自然といつもより少し口調が硬くなった。

職員室に着くと、予想通り古典に関するプリントを渡された。
「これ、予想問題集と解説。最終チェック用に試験科目に古典がある人に配っておいてください」
職員室内ということで由紀先生の口調も改まっている。

俺がプリントを受け取ると、由紀先生は続けて小さく周りを見渡し、近くに人がいないことを確認すると
「あと、これはあなたに。ほんとはいけないんだけど、あなたなんか頼りないから」
と小声で言うと、小さな事務封筒を手渡した。

俺はその封筒を周りの教師に悟られないよう無言で受け取ると、そのまま教室に戻り、預ったプリントをみんなに配った後、即行でトイレの個室に駆け込んだ。

校名の入った事務用の茶封筒が少し膨らんでいる。
俺はゆっくりと封筒を逆さにして中身を取り出した。
中からは「学業成就」と書かれたお守りと、「自信を持って頑張りなさい!!」と書かれた小さな 紙片が出てきた。
手紙と言うにはあまりにも小さいその紙片は、薄いグレーのシンプルなデザインで、由紀先生らしい 大きく力強い文字で言葉が記されていた。

「先生・・・」
みぞおちの辺りにキュルキュルっと締め付けられるような感覚があり、俺は思わず脱力して便座に 腰を下ろした。

「なんか、もうやばい・・・」
俺は入試が終わった後のことを想像し、「もう絶対告白するしかないなぁ」とか「もう逃げ道は無いぞ」
とかそんなことををぼんやりと考え、感動なのか興奮なのかわからないけれど少し体が震えるような感覚を覚えていた。
振り返ってみると、俺はこの時初めて生涯初の告白というものを、想像ではない現実のこととして捉えていたんだと思う。
想像の世界から、急に現実に引き戻された様な生々しさ。
入試同様、結果はどうであれ気が付いたらゴールは思っていた以上に近いところまで迫っているということを、俺はいきなり胸元に突きつけられたような気がしていた。

試験は出来たり出来なかったりだったけど、兎にも角にも入試期間は嵐のように過ぎ去った。
結果から言うと俺は何とか第1志望の学校に合格することができた。
ただ、それはそれで良かったんだけど、その学校は俺の地元からは遠く離れていて、俺は卒業と同時に地元を離れ一人暮らしをすることが自動的に決まってしまった。
あと一月もしないうちに地元を離れるという現実に直面し、俺は今さらながら焦燥感を覚えた。

試験が終わった俺にとって、今や最大の関心事は由紀先生のこと以外にありえない。
残された僅かな時間の中で、どうやって由紀先生に気持ちを伝えるか。
試験が終わった俺は始終そのことばかりを考えるようになっていた。

しかし、いざ考え始めてみると、確実に由紀先生と会えて、ゆっくり話せる場所というのは思いのほか少ないことにも気がついた。
それ迄は漠然とどこか人気の無い場所で告白すればいいと考えていたんだけど、実際問題としてはどこかに由紀先生を呼び出すといってもどういう方法で呼び出せばよいかが難しいし、そもそも由紀先生が俺の呼び出しに素直に応じてくれるかも分からない。
それだったらいっそ校内のどこかで俺が由紀先生を待っている方が確実性は高いように思うけど、人目が無く確実に会える場所となると果たしてどこがあるか・・・

考えた結果、俺は校内の駐車場で由紀先生を待つことにした。
田舎にある学校なので、由紀先生を始め多くの教職員は車で通勤していたから、駐車場にいれば由紀先生に会えるのは確実だったし、うちの学校の駐車場は敷地の上が体育館になっていて、階段があったり体育祭で使う雑多な用具等が置かれていたりして死角も多かったから、由紀先生を待っているのを誰かに見咎められたりする心配が少ないことも好都合だった。

冷静になって考えれば、薄暗い駐車場で女教師を一人待ち伏せしている生徒っていうのもかなり危ない気がして、その点は心配だったけど、その時の俺には駐車場での待ち伏せ計画以上の名案は浮かばず、俺はそれなりに満足をしていた。

あとは日にち。
俺は思いを伝えた後に、学校で由紀先生と顔をあわせるのは余りにも恥ずかしいという気がしたので、Xデーは卒業式の翌日と決めた。
「一応、卒業式の後ならもう生徒じゃないのかな?」
そんなことも免罪符のように感じながら、ようやく俺の高校生活最後にして最大のイベントの計画は決定した。

そして卒業式当日。
3年間一緒に過ごした仲間と別れるのは寂しかったし、新しい生活への期待と不安も入り混じり、俺なりに感慨深いものを感じた。
もちろん由紀先生にも挨拶をした。
この一年間お世話になったことを、簡単ではあったけど、きちんとお礼を言った。
心なしか由紀先生の目も潤んでいたような気がする。

(でも先生、俺が本当に言いたいことは明日言いいますから・・・)
そんな言葉を飲み込んで、俺の高校生活は幕を閉じた。

翌日はもうすっかり春を思わせる陽気だった。
俺は朝からもう居ても立ってもいられない状態で、何度も何度も由紀先生に会ってからのことをシミュレートしていた。
ただいくらシミュレートをしてもやっぱり想像は想像でしかなく、今ひとつしっくり来ないばかりか、かえって緊張感が高まってしまい逆効果のような気もした。

午後になり学校へ向かう。
体がふわふわしていて、歩いていても自分の足じゃないみたいでどうにも足取りが覚束ない。
学校に着けば着いたで、昨日まで当たり前のように闊歩していた校内が、卒業してしまうとただの不法侵入者になってしまうのかと思うとちょっと不安を覚えた。
見慣れたはずの景色がなんだか妙に他人行儀な気がして居心地の悪さを感じる。
俺は誰にも見られないように足早に駐車場に向かった。

俺は駐車場で由紀先生の車を確認すると、すぐ近くにある物置の様な建物の影に腰を下ろした。
周りには色々なガラクタ類がたくさん置いてあり、ここならよほどのことが無い限り人には見つかる心配もない。
体が落ち着くと、今度は急に「俺は一体何をやってるんだ?」という思いが去来する。
独り善がりもいい加減にしろよみたいな感情も沸き上がってきて、かなりナーバスな状態になっているのが自分でも良くわかる。

しかしあと2・3時間もすれば由紀先生は帰宅するために間違いなくここにやってくる。 もう今さら足掻いても仕方が無い。覚悟決めないと。
目を瞑り深呼吸を繰り返す。間違いなく入試の前より緊張してるなと思うと妙におかしくて、少し緊張がほぐれた。
賽は投げられたってこういう時に使う言葉なんだなぁとか、関係ないけど漠然とそんなことを考えていた。

それから数時間が経ち、周囲が暗くなり体育館の部活の声も聞こえなくなった。
既に何人かの教師が50mほど離れた教職員通用口から現れては車に乗り込み帰宅していった。
しかし由紀先生はまだ出てこない。

早く出てきて欲しいような、このまま出て来ないで欲しいような複雑な心境。
気持ちが落ち着かない。
しかし駐車場の車が半分ぐらいになった時、ついに由紀先生が通用口から現れた。
幸いなことに由紀先生は一人で、他の教師と一緒だったらどうしようという心配は杞憂に終わった。
しかしこれでもう逃げ道も無くなった。

俺はいきなり飛び出して驚かせてはいけないと思い、由紀先生が近づいてくる前に車の側に早めに立った。
心臓の鼓動が早くなり、足には力が入らない。何か頭がクラクラする。

由紀先生が俺に気付く。
いや正確には俺とは気付いていないかもしれない。
誰がいるんだろうという感じで目を凝らしている様子が窺える。
俺は自分から声を掛けようと思っていたのに、緊張で一言も発することが出来ず、ただ突っ立ったままだった。
案の定、散々行ったシミュレーションは初っ端から何の役にも立ちはしなかった・・・。
「・・・佐野君?」
由紀先生が声を掛ける。
「・・・うん」
正しく蚊の鳴くような声で返事をする俺。情け無い・・・。

「何やってんの、こんなとこで?びっくりするじゃない。もー」
由紀先生がホッとしたような声を出す。
明るい声で、思ったよりも全然不審がられていない様子でちょっと気が楽になる。

「何?待ち伏せ?もしかして私のこと待ってたの?。」
少しふざけた口調ながらも、俺の欲目か由紀先生も心なしか喜んでいるようにも見える。 でも俺の行動はすっかり読まれてる感じ。

「・・・うん、ちょっと」
「ん?どうしたの?」
「・・・うん、ちょっとお礼を言おうと思って・・・」
「お礼って?」
「だから・・・今までお世話になったお礼・・・」
「お礼なら昨日聞いたよー。」
由紀先生が悪戯っぽく笑う。
「いや、そうじゃなくて・・・」
由紀先生は余裕なのに、俺のほうはこの時点ですっかり喉がカラカラの状態で、緊張のあまり呂律も廻らなくなってきた。
しかしここまできたら、もう逃げ出すわけには行かない。
俺は一気に今日ここに来た理由をまくし立てた。

由紀先生のことがずっと以前から気になっていたこと。
古典の補講も由紀先生が担当だったから受けたし、すごく楽しかったこと。
放課後の教室での激励がほんとに嬉しくて、その後少しだけど自信がもてたこと。
補講を受けられなくなった時は残念だったこと。
受験前にもらったお守りとメッセージがびっくりしたけどすごく嬉しかったこと。
そして、好きだっていう気持ちをどうしても、直接会って伝えたかったこと・・・

恥ずかしさのあまり俺は由紀先生の顔は全く見れなかったけど、半ばヤケくそ気味にこの1年間の思いのたけを由紀先生にぶつけた。
所々つっかえたけど一通り言いたいことを言って、俺が顔を上げると、意外にも由紀先生はすごく真面目な顔をして俺のことを見つめていた。

「・・・もう終わり?」
「・・・はい・・・」
少しの沈黙の後、由紀先生が喋りだした。

「佐野君ありがとね。実はね、私も佐野君にお守りをあげたことが気にはなっていたの。教師としては特定の生徒にだけそういうことをするっていうのはやっぱり良くないことだし、佐野君にもかえって余計なプレッシャーを与えちゃったんじゃないかなって・・・」 「そんなこと・・・」
「でもね、そういう風に思ってたけど、今の佐野君の話しを聞いてたらやっぱりあげて良かったなって思ったよ。教師としてはダメかもしれないけど、佐野君がずっとそうやって思ってくれてたんだったらそれはそれで良かったのかなって。そのことがずっと気になってたけど、今日佐野君が言ってくれたから私も言えて良かったよ」

さっきまでの調子と違い、由紀先生は真剣な口調でそんなことを言った。
俺はまさか由紀先生がそんな風に考えているとは思わなかったし、嬉しくもあったんだけど、何と返事をして良いかがわからず、ただ無言で立ちすくんでいた。
何か言わなきゃと焦るけど言葉が出てこない・・・。

とその時、助っ人が現れた。
と言ってももちろん誰かが助けに来てくれた訳じゃなくて、ちょうど教職員通用口が開いて誰かが駐車場に向かってくるのが見えたんだ。

「先生、誰か来る!」
ある意味、我に帰る由紀先生と俺。
「ごめん!もう1回隠れててくれる」
由紀先生の言葉を待つまでも無く、俺は慌ててさっきまで潜んでいたガラクタの陰に身を潜めた。
現れたのは普段から口うるさい教頭。こんなところを見つかったら、俺はともかく由紀先生の立場はまずいことになる可能性もある。

教頭と由紀先生は二言三言言葉を交わし、最後は由紀先生が挨拶して車に乗り込んだ。
と思ったら、由紀先生、車のエンジンをかけて走って行っちゃった・・・。

まさかこのまま置いてけぼりってことは無いとは思うけど、あっけにとられる俺。
しばらくして教頭の車も走り去り、あたりが静かになる。

殺風景な駐車場で一人ポツンと立っていると、しばらくして由紀先生の車が戻ってきた。
「ごめんね。あのまま駐車場にいると変に思われそうだったから一旦外に出ちゃったよ。置いていかれたと思った?」
「いや、さすがにそれは無いと思ったけど・・・びっくりした」
「ごめん、ごめん。」
戻ってきた由紀先生はさっきの様子とは打って変わって、上機嫌でコロコロ笑っている。 俺が駐車場で一人ポカンとしているところを想像したら可笑しくなっちゃったらしい。
そう、由紀先生って意外とこんな風に笑う人なんだよな。
俺は今更ながら由紀先生との色々なやり取りを思い出しながら、ちょっと気持ちが解れた。
由紀先生は俺のそんな気持ちの変化を気にする素振りも無く、
「ここにいるとまた誰か来たら置いてきぼりになっちゃうね。ね、お家が大丈夫だったらこれから一緒にご飯でも食べに行こうか?進学のお祝いしてあげるよ」
とごく自然な感じで俺を誘ってくれた。

まさか由紀先生の方から食事に誘ってくれるという意外な展開。
この流れも俺の事前シミュレーションには全く無かった。
というか良い意味で想定外すぎる。

俺は二つ返事でOKし、由紀先生の車に乗り込ませてもらった。
「校門出るまでは隠れててよ。」
何となくこの状況を楽しんでいるような表情で笑う由紀先生が可愛いっ!!
それに車の中は何とも言えないいい匂いに包まれていて、まるで夢の様な気分。

俺は助手席で身体を小さく丸めながら、この展開が現実なのかと頬をつねりたい気分だったけど、そんな心配をするまでも無く、それは俺が想像することすら出来なかった夢の様な現実だった。

「あー、ドキドキしたねー。」
校門を出ると由紀先生が話しかけてくる。
しかも昨日までの会話とは微妙に口調が違っている気がする。
言葉に親近感があるというか、親しみが込められているというか・・・

(・・・・もしかしてこれはデートというものなのか?)
成り行きとはいえ生涯初のデートを思いもよらず由紀先生と出来るなんて、こんな幸せなことがあっていいんだろうか・・・俺はしみじみと幸せを噛み締めた。

それからの数時間は正に夢心地だった。
地元では知り合いに会うかもしれないということで、俺たちは少し離れた場所にあるショッピングモールまでドライブし、その中のステーキハウスで夕食を食べた。
正直、俺は緊張と興奮で味はよく分からなかったけど、この1年間のトータルよりもはるかに多い量の会話を由紀先生と交わすことができた。

俺は、由紀先生がよく笑う、思っていたよりもずっと気さくな人だって知って改めて魅力に取り付かれてしまったんだけど、由紀先生は由紀先生で「佐野君って意外とよく喋るんだね。そんな風に明るくしてたらもうちょっと女の子にモテたかもよぉ。」なんて褒めてるような嫌味のようなことを言って俺のことを馬鹿にした。

でも楽しい時間ってほんとあっという間に過ぎてしまう。
食事を終え、8時を過ぎたぐらいになると、由紀先生が「そろそろ帰らないとね」と言い、俺たちは店を出た。

「えーっと駅は□□駅でいい?送ってくね」
と由紀先生が駐車場で言う。
でも俺はこの夢の様な時間が終わるのが嫌で返事ができない。
それに駅で別れるといっても、それは今までのように「また明日」っていうような別れとは違い、地元を離れる俺からすると、下手をしたらこれが由紀先生との最後の別れになるかもしれないわけでそう考えると俺はとてもじゃないけど返事が出来なかった。
俺はこの時も何といって良いか悩み、無言で立ちすくんでしまった。

「どうしたの?」
訝しむように由紀先生が尋ねた時、俺は意を決した。
見えないか何かが背中を押してくれたような感覚。
多分それは俺が由紀先生のことを心底好きだという気持ちそのものだったんだと思う。

この何時間由紀先生と話しをして、俺はもちろんだけど由紀先生にしても少なくとも俺に対して好意を持ってくれているというのは分かった。
例えそれが恋愛という感情ではないにせよ、由紀先生が俺を食事に誘ってくれて、この時だけは二人だけの時間を過ごしてくれたことは紛れもない事実。
俺はここで勇気を出さずに一体いつ出すんだという思いで口を開いた。

「・・・ねぇ先生。俺、まだ帰りたくないです・・・」
「えっ!?」
由紀先生が驚いたような顔で俺を見つめる。

「・・・まだ帰りたくないです」
「・・・でも、そんなこと言ったってどうするのよ。?家の人だって心配するし、時間が時間だから私だってもうこれ以上佐野君のこと連れ回せないよ」
「家は大丈夫。ただ俺もうちょっと先生と一緒にいたい。それに今ここで別れたらもう二度と先生に会えなくなるかも知れないし・・・」
「もう、大袈裟だなぁ。大丈夫、また会えるよ。佐野君また会いに来てくれればいいじゃない。」 
「・・・・・・」
「ね、だから行こう」
そう言って由紀先生が俺を促す。
俺はどうしても足が動かない。
「・・・ねっ、行こ」
業を煮やしたのか、由紀先生が俺の手を取り引っ張ろうとした時、再び俺の中で何かが破裂した。



「・・・先生」
「ん?」
「・・・先生、俺、先生とキスしたい・・・」
ついに言ってしまった。

「俺、今まで誰とも付き合ったこと無いし、キスだってしたことない。だからって言うのも変だけど、
俺先生に最初の相手になって欲しい・・・」
「・・・・・・」
「・・・駄目?」
由紀先生が明らかに戸惑っているのが分かる。
なんと答えて良いかを考えている様子。
だだっ広い駐車場を風が吹き付ける中で沈黙が続いた。

「・・・ごめんね。でもいきなりそんなこと言われても、教師としてはそういうことはできないよ・・・」
しばらくして由紀先生が口を開く。
「俺、もう生徒じゃないです・・・」
「それはそうだけど・・・。でもやっぱりそれは無理。・・・ごめんね・・・」
由紀先生の困った顔。
そんな顔も魅力的ではあるけど、やっぱり現実は甘く無い。

「そっか、やっぱり無理だよね・・・」
「ごめんね。でも、そういう風に言ってくれるのは嬉しいよ。ありがと」

そう言うと、由紀先生は微かに笑い、「キスは無理だけど、握手」と言って俺の目の前に右手を差し出した。
「ね、握手しよ」
由紀先生はもう一度言うと、失意と緊張で固まっている俺の手を取るとギュッと力を込めた。

由紀先生の細くてしなやかな指の感触と手の温もりが伝わってくる。
俺は由紀先生を見つめた。
由紀先生も真正面から俺のことを見ている。
俺が1年間見つめ続けてきた由紀先生が目の前にいる。
やっぱり堪らなく愛しい・・・
俺はもう駄目だった。
雰囲気に飲まれ、完全に由紀先生に酔っていた・・・

俺は力づくで由紀先生の手を引っ張ると、有無を言わせず抱きしめてしまった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴を上げる由紀先生。
「先生ごめん。でも俺止まらなくて・・・」
そのままの状態で言い訳をする俺。
あごの辺りに由紀先生のやわらかい髪の毛の感触。
細い肩と大人の女性特有の甘い香り。
由紀先生は無理に抵抗すること無く俺に身を預けたままでいる。
頭の中が真っ白になる。

「・・・先生、俺先生のこと好きです。付き合ってくれなんて大それたことは言えないけど、今日だけでいいんで、今日だけ俺と付き合ってくれませんか・・・」
気持ちの異常な昂ぶりにもかかわらず、俺は自分でも驚くほど冷静に、そして思いっきり
大胆な本音を口にした。

「・・・付き合うって?」
俺の胸の中で由紀先生が小さく尋ねる。
「・・・今日だけ、付き合うって・・・どういうこと?」
「・・・だから今日だけでいいんで、俺とずっと一緒にいて欲しいってことです・・・」
俺はひるみそうになる気持ちを抑えて必死に答えた。

由紀先生は俺の胸に両手を添えると、俺の体を押すようにしてゆっくりと俺から離れた。
「・・・佐野君、それ本気で言ってるの?」
「・・・うん・・・」
至近距離から俺を見つめる由紀先生に、声を絞り出すように返事をする俺。
少しの沈黙。

「佐野君、そんなこと簡単に言うけど、それってすごく大変なことだよ・・・ほんとに本気で言って
るの?」
「本気も何も、俺は由紀先生が好きですから!」
吹っ切れたように俺がそう言葉に力を込めると、由紀先生は困ったような表情を浮かべうつむいた。
髪の毛がパサリと落ちて由紀先生の顔を隠す。
俺は俺でもうこれ以上何か言うのは気が引けるような気もしたし、何よりもこれ以上は体に力が入らない。
立っているだけで精一杯。なんか一瞬で自分の全精力を使い切った気がした。

居心地の悪い時間が随分と長く感じられた後、由紀先生がようやく口を開いた。
「・・・ねぇ、佐野君?」
「・・・はい」
「・・・困ったね・・・」
「・・・・・・」
俺が由紀先生の真意が分からず黙っていると、由紀先生はかすかに笑うと「ちょっと、ここで待ってて」
と言い残し、建物のほうへ歩いていった。

駐車場に立ち尽くす俺。
由紀先生の真意は分からないけど、ただ俺にはもう退路が無いことだけは間違いなかった。
言うことを言ってしまった以上、後は由紀先生の判決を聞くだけ。
俺は脱力感と共に、一種の清々しい気持ちさえ覚えながら由紀先生の戻りを待った。

由紀先生は数分で戻ってきた。
その顔にはほとんど表情がなく、見ようによっては怒っているようにも見えた。
「あー、やっぱり怒ってるのかな・・・」
急に不安になった俺に対して、由紀先生はいつものように正面から真っ直ぐに俺の目を見つめると、少し息を吸い込み
「本当にお家は大丈夫なの?もし家に帰らないつもりだったら、お家の人が心配しないように連絡だけはちゃんとしておかないといけないよ。最低限それだけはお願い」
と小さく俺に命じた。

緊張感に包まれた車内はまるで会話が無かった。
時々盗み見る由紀先生の横顔はさっきと同様に何か怒っているようにも見えて、軽々しく話しかけられるような雰囲気ではなかった。

どこをどう走ったか分からないけど、車はやがて市外を走る高速道路のインターチェンジの近くを走っていた。
周辺にはケバケバしいネオンを点したラブホテルが林立している。
「・・・私も良く分からないから」
由紀先生は独り言のようにつぶやくと、狭い路地を折れ、その中の一軒の建物に車を滑り込ませた。

遊園地のアトラクションの様なエントランスで部屋を選ぶと、俺たちはエレベーターに乗り込んだ。
狭い箱の中で、音が聞こえちゃうんじゃないかって言うぐらい心臓が波打っている。

目の前には由紀先生が立っていて、そしてその由紀先生とこれから・・・
そう思うと俺は期待と不安で、思わず生唾を飲み込んだ。
思いのほか大きく喉が鳴ってしまい、由紀先生が思わずこちらを振り返る。
「・・・もう」
そう言うと由紀先生は小さく笑った。

部屋に入ってからのことは緊張のせいか、断片的な記憶のつなぎ合わせになる。
ただ俺は何故かベットには近づいてはいけないんじゃないかっていう気がして、とりあえずソファーに腰を下ろしていた。
由紀先生はしばらくは洗面所のほうへ行ったり、上着をクローゼットにしまったり色々動き回っていたけど、一段落したところでようやく俺とは少し間を開けてソファーに腰を下ろした。

2人の間に微妙な空気が流れる。

「・・・佐野君」
由紀先生が口を開く。
「あのね、ちょっと聞いてくれる・・・」
そう言うと由紀先生はゆっくりと話し始めた。
真剣な表情。

「佐野君、私ね、さっき佐野君に今日だけ一緒にいたいって言われた時すごく迷ったのね。正直言うと今でも迷ってる。でも佐野君にそう言われて、どこか心の中で嬉しいっていう気持ちもあったのね」
「・・・・・・・・」
「でも、やっぱりこういうことはしちゃいけないことなんだとも思うの。だから、こういうのは本当に今日だけにしよ。それだけ最初に約束してくれる?」
静かではあるけれど、由紀先生の言い方には有無を言わせない強さがあり、俺は素直に応じざるを得なかった。

「・・・うん、わかった・・・」
俺が返事をすると、由紀先生は少しホッとしたような表情を浮かべた後、
「ありがと」と言うと、先にお風呂入るねと言って立ち上がった。
いきなり風呂!?と俺が思う間もなく由紀先生は視界から消えると、バスルームに明かりが灯り、しばらくすると部屋とバスルームを隔てる擦りガラスに一瞬由紀先生のシルエットが映った。

風呂から出てきた由紀先生はバスローブ姿になり、髪の毛も束ねてアップにしていた。
俺が今まで見たことも無い色っぽい雰囲気の由紀先生の姿に思わず見とれていると、
「ちょっと。、あんまりジロジロ見ないの!」
と由紀先生が笑いながら釘を刺す。
さっきまでの重たい感じとは違い、明るい由紀先生が戻っている。

「じゃあ俺も入ってくるね」
俺は緊張からこの状況に何かいたたまれない感じを覚え、逃げるように風呂に向かった。
脱衣所で服を脱ぐと、俺の裸体が鏡に映る。
(俺、今由紀先生と一緒の部屋で裸になってるんだな・・・)
とかキリが無いくらい色々なことを考えてしまう。
風呂では念入りに身体を洗った。
童貞とはいえ、知識だけはひと通りある。
もしかしたらここを由紀先生が口でしてくれたりするのかな?などと想像しながら俺は体の隅々までボディソープの泡を行き渡らせた。

よからぬことを想像したせいか、念入りに洗ったせいか、あっという間にちんこが立ってしまった・・・
俺が緊張の面持ちで部屋に戻ると、部屋は既に灯りが落とされて薄暗くなっており、由紀先生はベッドに腰を掛けていた。

「ドキドキするね」
「・・・うん」
短い会話を挟んで、俺は由紀先生の横に座った。
俺はおずおずと手を伸ばしなんとか由紀先生の手を握ったものの、その後をどうして良いかがわからない。
俺が固まったままでいると、由紀先生が俺の方を向き「私だって緊張してるんだよ・・・」と囁いた。

その一言がきっかけになった。
俺はゆっくりと由紀先生の方に身体を捻ると、そのままキスをし、布団の上に由紀先生と一緒に倒れこんだ。
ただ当然のことながら俺には全く余裕が無い。
憧れの由紀先生とキスをしたというのに、その余韻に浸ろうともせずに、俺はすぐに由紀先生の胸に手を充てると、いきなり乱暴にバスローブを脱がそうとしてしまった。

「ちょっ、ちょっと佐野君!」
由紀先生が慌てたように声を上げる。
「ちょっと佐野君、慌てすぎだよ。落ち着いて!」
「あ・・・」
我に帰る俺。完全に平静を失っていた。
由紀先生は「もー、佐野君はー」と叱責口調ながらも、「と言っても初めてだから仕方ないか」と優しく言うと、俺と体勢を入れ替え「最初は私からするから目を瞑ってて」と囁いた。

素直に目を瞑った俺に由紀先生がゆっくりとキスをする。
さっきとは違い柔らかな唇の感触が良くわかる。
由紀先生は唇だけでなく、俺の頬や首筋にもキスをしながら、同時に手で俺の身体を撫で回してくれる。

細い指先のやわらかな感触が地肌に触れてたまらなく気持ちがいい。
由紀先生は俺のバスローブに手を掛けるとゆっくりと脱がしにかかる。
ジリジリするほど動きが遅く、完全に焦らされているのがわかるど、俺にはそれに抗う術はなく、ただひたすらされるがままの状態。

由紀先生が俺の乳首に舌を這わす。
冷たい舌先の感触。今までに経験したことの無い快感が全身を貫く。
舌はさらに下のほうに移動し、下腹部の辺りに到達したところで、由紀先生の手がパンツにかかり、ゆっくりと下ろされた。
完全に勃起したちんこが由紀先生の目の前で剥きだしになる。
由紀先生に勃起したちんこを見られている!!そう思うだけで、たまらない興奮!!
しかし、ここでも俺は焦らされ、由紀先生は一切ちんこには触れてくれない。

再び由紀先生がキスをしてきて、「起きて」と優しく命じる。
言われるがままに上半身を起す俺。
由紀先生が背中越しに自分の身体を押し付けてくる。
由紀先生もいつの間にかバスローブを脱いでいるみたいで、乳房の膨らみや素肌のスベスベした感触が背中に感じられる。

今度は後ろから耳元にキスをされたと思ったら、胸の辺りをさすっていた由紀先生の手がゆっくりと滑り、そのままちんこを握られた。
不意を突かれて、「あぁ」と思わず情け無い声が出る。

「・・・先生」
「なに?」
「気持ちよすぎ・・・」
「ほんとに。」
由紀先生が可笑しそうに笑う。

「先生、目開けてもいい?」
「開けたい?」
「うん、開けたい」
「じゃあいいよ。でもあんまり見ちゃ駄目だよ」
そんなやり取りの後、俺はゆっくりと目を開けた。

由紀先生は俺の背後にいるので姿は見えない。ただ背中から伸びている由紀先生の右手がしっかりと俺のちんこを握っている。
俺は振り向いて由紀先生と向かい合いたいのに、ちんこを握られているため振り返ることができない。

「先生、手が・・・」
「なーに?」
「振り返れない」
「振り返りたいの?触られるの嫌なの?」
「いや、嫌じゃないけど、先生のこと見たい・・・」
「そう、じゃあ、いいよ」
そう言うと由紀先生はいきなり俺のちんこをシコシコと数回強くこすった。
「ああっ」
また情け無い声が出る。完全に由紀先生に弄ばれている。

由紀先生がようやく手を離してくれ、俺が振り返ると、そこには一糸纏わぬ姿の由紀先生がいた。
ちょっと照れたような表情の下に、細い身体に似合う小さなおっぱいがはっきりと確認できた。
由紀先生の何とも言えず恥ずかしそうな表情・・・

そして視線を下のほうに移すと、そこにはいやでも黒い茂みが目に入る。
そしてその茂みの奥には夢にまで見た・・・

俺がそんな想像をめぐらせていると
「もう、あんまり見ちゃだめって言ったでしょ!」
由紀先生が恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、俺の顔に手を伸ばし、視線を塞ごうとする。
細い指が顔に触れると、その代わりに由紀先生の両脇のガードはガラガラになる。

すかさず俺は由紀先生の両脇から腕を滑り込ませ抱きかかえると、そのままベットに押し倒してキスをした。
今度は俺が上になる体勢になり、由紀先生の体を抱きしめると体の自由を奪ったままキスをし続け、さらに調子に乗って舌まで絡めてみた。

「もう!タカシのエッチ!」
由紀先生はもがいて俺から逃げると、俺のことを初めて呼び捨てで呼んだ。
今度は由紀先生の逆襲。
「経験も無いくせにそんなことして。仕返し!」
そう言うと、由紀先生はまた俺のちんこを握るとグリグリッと捻り回し、「こんなにしてるくせにー。」
とわざと耳元で囁いた。

言葉攻めと局部への直接的な刺激、もちろんビジュアル的には全裸の由紀先生が俺の股間に手を伸ばしてしごいてくれているという光景。乳房もお尻も、陰毛も全部が丸見え。
正直、童貞にこの3点セットは刺激が強過ぎた。

「先生ごめん!!このままされたら出る!!」
俺は敢え無く降参すると、由紀先生の手を振り払った。
「勝手なことするからそうなるんでしょ。」
勝ち誇ったように笑う由紀先生。
なんか由紀先生Sっ気がでてる、っていうかそういう性癖の人だったのか!?

「ねぇ」
由紀先生が俺の耳元に顔を近づける。
「もう、する?」
「えっ・・・」
「まだ?」
「いや・・・」
実際のところ、このままいたぶられ続けたら遅かれ早かれ射精させられるのは目に見えていたし、というよりも既に危険水域はもうとっくに越えていた。
もちろんこんなイチャイチャも俺にとっては最高の体験には違いないんだけど、やっぱり童貞にとっての最大の関心事はその先。
つまり、女の人のあそこを生で見て、そこに自分のちんこを挿入すること。
これこそがSEXであり、童貞時代に焦がれるほど想像し、それでも結局よく分からない究極の行為(大袈裟か。)。

「・・・いいの?」
伺うように尋ねる俺。
「いいよ。ってそんなこと言わせないで。」
もうって言うみたいに由紀先生は俺にもたれかかると、そのまま体勢を崩して俺のちんこを口に咥えてくれた。

夢にまで見たフェラチオ!!しかも由紀先生が俺にしてくれてる!!
夢の様な光景。しかしこの期に及んでのフェラチオはある意味諸刃の剣。
要するに気持ちがよすぎる。
(これ以上はやばいっ!!)
俺の悲鳴にも似た心の叫びを知ってか知らずか、由紀先生はすぐに口を離すと、「着けてあげるね」と言って、枕元にあったコンドームの袋を破るとゆっくりと俺のちんこにかぶせ始めた。

「先生、俺多分すぐイッちゃうと思う・・・」
初めての時にアッという間にイッちゃうっていうのは良く聞く失敗談だけど、自分も間違いなくその仲間入りすることを確信した俺は先に由紀先生に申告した。

「いいよ。最初は自分の事だけ考えてればいいからね」
由紀先生が優しく言ってくれる。
この人優しいんだかSなんだか良くわからない。でもほんと大好き。

「恥ずかしいから最初は私が上になるね」
由紀先生はそう言うと、おもむろに俺の上に跨った。
結合部を凝視する俺。
由紀先生が俺のちんこを掴み、自分の中心部に誘導すると、ゆっくりと腰を下ろす。

ちんこの先が肉のトンネルを分け入って行く様な感覚。
ちんこ全体が温かく包まれる感じと、先端部分に電流が流れるような快感。

「あー、ふぁー・・・」みたいな俺の声と、
「ンッ」という由紀先生の声が同時に漏れる。

由紀先生のおまんこが俺のチンポを根元まで飲み込むと、由紀先生はゆっくりと身体を倒し、俺の体とぴったり重なり、優しくキスをしてくれた。

「・・・入ったのわかる?」
「うん・・・」
「動かして大丈夫?」
「・・・駄目かもしれないけど、動かして欲しい・・・」
「じゃあ動かすよ。ウンッ」
由紀先生も気持ち良さそうな声を出した後、ゆっくりと腰を振り始めた。

ちんこ全体が絞りあげられる様な快感が背筋を走る。
オナニーが点だとすると、おまんこは面。良くわからないけど快感の質がそんな感じ。
「ねぇ・・・気持ちいい?」
由紀先生が追い討ちをかけるように優しい口調で尋ねる。
由紀先生はゆっくりと腰を動かしながらも、俺を上からじっと見下ろしたまま視線を外さない。
俺は今まで見たことが無い恥ずかし気な由紀先生の表情を見つめたまま、快感に身を委ねる。
お互いの目を見つめ合ったままでいることが嫌でも興奮を高める。
あっという間に絶頂感が訪れた。

「先生。いきそうっ!!」
「いいよ。そのまま出していいよ」
そう言いながら由紀先生が俺に抱きついてくる。
俺は由紀先生の言葉が終わるのを待ちきれずに、爆発するかのように発射した。

ちんこが自分の意思とは無関係にビクビクと由紀先生のおまんこの中で飛び跳ねる。
ビクッとちんこが痙攣するたびに、その刺激が伝わるのか由紀先生が小さな喘ぎ声を漏らす。

そんな状態が数回続き、ようやく射精が収まったのを確認すると、由紀先生はゆっくりと体を起こしちんこを抜くと、俺にキスをしながら、
「佐野君の最初の相手になっちゃった。」
と少しはにかんだような言い方で微笑んだ。

その後、俺と由紀先生は深夜まで何度も体を重ねた。
俺は初体験だし猿のようにM先生の体を求めたけど、由紀先生も嫌がることなく積極的に俺のことをリードしてくれた。
やっぱり普段から人を教える立場の人は自分が主導権を握る方がしっくりくるのか、普段はエッチな雰囲気なんて全く無い人が、ベットの上ではすっかり積極的で、色々な行為を厭うことなく受け入れてくれた。

フェラチオ、69はもちろんのこと、マングリ返しや顔面騎乗(俺の顔へのおまんこ擦りつけ)までしてくれたし、体位も正常位、騎乗位、対面座位、バック等、おそらく普通のSEXでやれる行為は、大方この日のうちに由紀先生が試させてくれたような気がする。

また特に忘れられないのは、由紀先生に後ろから挿れたこと。
実は俺は童貞時代からの夢としてバックでの挿入に強い憧れを持っていただけに、このときは感激した。
俺が四つんばいになって欲しいって言ったら、最初は恥ずかしがっていたけど、最後は諦めてお尻を突き出してくれた由紀先生。

この上なく恥ずかしい格好をした由紀先生のおまんこがぱっくり口を開いている。
よく初めて見たおまんこはグロかったとかいう話しを聞くけど、俺にはそういう感覚は全く無くて、むしろ何でこんな素敵な人にこんないやらしい形状のものが付いてるんだろうと思うと、逆に物凄く興奮したことを覚えている。

中心部だけでなくその周囲までがテラテラと光っている由紀先生のおまんこ。
俺は既に愛液ですっかり黒光りしている由紀先生の陰毛の間にちんこをあてがうと、遠慮なくぶち込み思いっきり腰を振った。
由紀先生が仰け反るように体を硬直させ、喘ぎ声を上げる。
局部と局部がぶつかる激しい音を聞きながら、俺は由紀先生の尻を鷲掴みし左右に思いっきり広げると、ちんことおまんこの結合部をじっくりと凝視した。
出し入れに伴い由紀先生の肉襞がちんこにまとわり付いてくる様がこの上なくいやらしい。

お尻の穴も皺の一本一本まではっきりと確認できるぐらい丸見え。
「先生、凄い・・・丸見えだよ」
思わず俺がそう言うと、恥ずかしさのあまり、喘ぎ声を上げながらも「そんなに見ちゃだめっ!!」
と懇願する由紀先生の姿態がさらに興奮を誘う。

「先生っ!先生の中凄く気持ちいい!」
「アアッ、もう言わないで!あん、もう、アンッ、凄いっ!」
「先生、好きです!」
「あー!もうおかしくなるっ!!」
「出るっ!!」
「いいよ!出してっ!!あぁっー!!」
瞬く間に興奮はピークに達し、結局この時はそのままバックの体勢のまま射精をした。
憧れの由紀先生のケツを鷲摑みにして後ろから突きまくった征服感と、由紀先生の泣くような喘ぎ声。
あまりにも強烈な印象が放出を終えた虚脱感の中にも鮮明に残っていた。

「すごく気持ちよかった・・・」
「・・・初めてなのにいっぱいしちゃったね」
「でも最初の相手が由紀先生で、俺ほんとよかった・・・」
「そうだよー。感謝しなさい。でもね私も嬉しいよ」
「ほんとに?」
「ん?うそ。」

そう言うと由紀先生は俺に軽くキスをすると、顔を胸に埋めてきた。
由紀先生をぎこちなく抱きしめる俺。
華奢な背中をさすっていると、教師と生徒ではなく、一人の男と女としての関係になった様に感じる。
俺と由紀先生はぴったりと体を寄せ合い、いつまでもお喋りをしていた。
由紀先生のやわらかい体の肌触り感じながら、至福の時ってこういう事を言うんだな・・・
俺はそんな事を心の底から実感していた。

夢の様な夜が終わり、翌朝俺たちはかなり早くホテルを出た。
由紀先生は一度家に戻り着替えなくてはならないためほとんど時間が無く、俺は近くの駅で下ろしてもらった。
駅で別れるときは、お互い疲れと恥ずかしさでロクに挨拶も出来なかったけど、俺としては本当は昨夜の食事の後そのまま別れていてもおかしくなかったことを考えれば、こんな素晴らしい朝もないというのが素直な感想だった。

(大人の男になりました・・・)
俺は生気が抜け疲れきった体を充実感に浸しながら家路についた。

その後、何日かして俺は予定通り引っ越しをした。
ホテルに行った時にはその日限りっていう約束ではあったけど、実は引っ越しの前日にも由紀先生には会った。
実際は俺が強引に頼み込んで会ってもらったっていうのが本当なんだけど、由紀先生の方もそれ程抵抗感がある様子でもなく、意外とすんなり時間を作ってくれたので嬉しかった。
俺としてはこの間の夜の一件以来すっかり頭の中は由紀先生に支配されていたから、もうこの際正式に由紀先生に交際を申し込んじゃおうかって勢いだったんだけど、その辺りは由紀先生に巧みに話を逸らされ、結局告白は未遂に終わった。

「いよいよ明日行くんだね」
「行きたくないなー」
「何言ってるの。」
そんな会話を延々と繰り返した挙句、翌日俺は未練たらたらのまま地元を離れた。
引っ越してしまえば、俺の地元と引っ越し先の土地は気軽に行き来するにはあまりにも距離がありすぎたし、引っ越し後の片付けや手続きをしているうちに学校が始まり、学校が始まれば俺には授業やバイト、その他もろもろの日常があり、由紀先生は由紀先生で当然仕事があるので、その後しばらくは由紀先生と会う機会はなかった。

引っ越し後、ようやく由紀先生と会えたのはGW。
由紀先生が俺のアパートに遊びに来てくれた。
「俺の部屋に最初に入った女の人だよ」って言ったら由紀先生なんか照れてた。

でもその日の夜にあの日以来のエッチをした後、俺は唐突に由紀先生から別れを告げられた。
別れるって言っても元々付き合ってるっていう訳じゃないからそういう言い方は変なんだけど、要するにもう会うことは出来ないよってことを言われてしまったんだ。

「どうして!?」
問いかける俺に対する由紀先生の回答は明快で、簡単に言うとお互い先の見えない恋愛は傷が深くならないうちに止めておこうというものだった。

当時由紀先生は26歳で俺とは8歳の年の差があった。
つまり俺が卒業する時に由紀先生は既に30歳を迎えることになり、由紀先生が結婚の適齢期のピークを迎えるときに、俺はようやく社会に出たばかりで、さらにそれから一人前になるまでに数年を要すことを考えると、「私はそれまで待てないよ」というのが由紀先生の言い分だった。

卒業時期に突発的に接近した俺たちには2人で築き上げた拠り所の様なものは何もないし、しかも親密になった矢先にすぐに遠距離ではお互いのことを深く知ることすらも難しい。
冷静になって考えれば由紀先生の判断は妥当と言うよりはむしろ当たり前で、俺にしてもそれを強く拒むだけの自信は正直いって無かった。
当時の俺には由紀先生に対する愛情以外は何も無く、確かな将来像や目標、人生設計の様なものを考えたことは無く、当然のことながら由紀先生に対する責任を担保する具体的なものは何一つ持っていなかった。

由紀先生はそんな現実を見つめると、このまま俺とこういう関係を続けていくことが自分にとっても俺にとっても良いことではないと考え、そうとなれば俺との関係をこのままずるずると続ける訳にはいかないと判断した。

「ごめんね。でも佐野君といつまでもこういう関係を続けることは出来ないし、今のうちにお別れしておくほうがお互いにとっていいと思う」
由紀先生がすまなそうに、でももう決めたことだからって感じで俺に告げる。

俺は元々彼氏でもないし、それにこういうことを言われることを全く想像しない程楽天的な性格
でもなかったから、変な言い方だけど由紀先生の言葉は自分でも意外な程冷静に受け止めることが出来た。
それに悲しいという気持ちよりも、俺のことを男にしてくれた由紀先生に感謝するという気持ちがあまりに大きくて、ここで未練がましく由紀先生にすがって迷惑をかけたくないって気持ちが悲しみに勝り、結局のところ俺はほとんど何も反論することなく由紀先生の申し入れを受け入れた。

「うん。わかった。先生、本当にありがとう」
「・・・ごめんね」
本当は感謝や寂しさ、その他色々な感情が湧き上がってきたんだけど、俺にはそれをどう言葉にして良いかがわからず、ただ由紀先生に覆いかぶさると強く抱きしめキスをした。
由紀先生も何も言わず、そっと俺の頭に手を添えると、やっぱり同じように俺のことを抱きしめ、そのままじっと動かずに俺のことを受け入れてくれた。
結局その日の夜は話しをするというよりは、そんな感じで2人で体を寄せ合ったまま時が過ぎていった。

翌日は眩しいくらい良い天気だった。
昼間は由紀先生と二度目にして最後のデート。
人出の多いところは避け、近場の大きな公園に散歩に出かけた。
公園では恥ずかしかったけど手をつないで歩き、話が盛り上がると由紀先生はいつものようにコロコロと笑っていた。

俺が由紀先生と同じような年齢だったら、俺が由紀先生と付き合えたのかな・・・?
そんな疑問が頭の中をよぎったりする。
いやそんな簡単なモンじゃないだろ。今回はたまたまタイミングがよかっただけだって・・・ すぐに別の声も聞こえる。

すぐ目の前に由紀先生がいるのに、何故かそれが現実ではないような不思議な感覚。
すぐ近くにいるのに決して手の届かない俺と由紀先生との距離感。
俺は由紀先生の一挙手一投足、どんな些細なことでも目に焼き付けておこうと思い、ただひたすら由紀先生の姿を見つめ続けていた。
俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、この日の由紀先生はいつにも増して明るく、優しくて、そしていつもよりもすごく綺麗だった。

夕方になりいよいよ別れの時間が迫ってきた。
由紀先生を見送りにターミナル駅へ向かう。

駅に着くとさすがに別れの時が近づいてることが実感されて、俺は何を話してよいかわからず言葉がでてこない。

由紀先生は改札口の手前で振り返ると
「佐野君ありがとう。もうここでいいよ」と言った後、一呼吸置いて
「私、佐野君と会えて良かったよ。ありがとう」
と言った。
由紀先生の目が少し赤くなっている。
その表情を見て、俺は無性に悲しくなりもう何も言うことが出来ない。
ありがとうって感謝しなくてはいけないのは絶対俺の方なのに・・・

俺はこんな素敵な人とほんの一時でも特別な関係になれたっていうことが、今更ながら不思議な気がして、なにか居ても立ってもいられない気持ちになった。

「先生、俺のほうこそほんとに・・・俺、本当に由紀先生と出会えて・・・」
俺も何とかお礼を言おうとしたけれど、そこまで言うのが精一杯で、後は自分でもビックリするぐらい涙がでてきて言葉にならなくなってしまった。
由紀先生も驚いて、「ちょっと泣きすぎだって。」と言いながら、ハンカチを貸してくれたけど、そういう由紀先生も涙をぽろぽろ零していた。

時間が来て由紀先生が「じゃあ、行くね・・・」と言って改札を通り抜ける。
あっという間に距離が広がって、やがてエスカレーターで小さく手を振る由紀先生の姿が視界から消えた。

俺はその後も改札口に佇み、電車の出発時刻を知らせる表示板から由紀先生が乗る電車の表示が消えるのを確認した後、ゆっくりとその場を離れた。
もしかして由紀先生が電車に乗らずに戻ってきてくれたりしてなんてことも頭をよぎったけど、現実にはそんな奇跡は起こるはずもなく、俺は一人寂しく家路についた。

その後自分がどこをどう歩いて家に帰ったのか、今となってはほとんど思い出すことは出来ない。
ただ部屋に戻った後は何もせず寝転んだままひたすら天井を見つめていたことを覚えている。
少しでも動くと張り合いを失った体がバラバラになりそうで、俺はただひたすら天井を見上げながら由紀先生との数少ない思い出を何度も何度も反芻していた。

それから数日後、抜け殻の様な状態の俺に由紀先生から手紙が届いた。
そこには由紀先生らしい力強い大きな文字で、お詫びとお礼、そして俺に対する激励の言葉が記されていて、文面の言葉を由紀先生が喋っているかのように頭の中で読み上げると、半年前に西日の当たる教室で由紀先生に叱られたことが思い出されて仕方が無かった。

わずか半年ぐらい前の出来事が遥か昔の出来事のように感じられるけど、それはこの半年間が俺にとって人生で最も刺激的で充実していた時間だったという証明なんだと思った。
その日の夜は痛飲した。
ガキで酒の味なんてロクにわからないくせに、俺はアパートの部屋で一人でひたすら前後不覚になるまで酒を飲んだ。
案の定、翌日はとんでもない二日酔になったけど、俺は酷い吐き気と頭痛の中で、二日酔いの苦しみを由紀先生との別れの辛さに投影していた。
二日酔いが治れば由紀先生との別れの苦しみも消える。
そんなことがあるはずも無いのに、俺はそんなことを朦朧とした意識の中で考え、一日中苦しみにのた打ち回っていた。
ただその日に限って言えば、何故か二日酔いの不快感がそれ程嫌ではなく、泣きたい様なそれでいて笑いたいような奇妙な感覚がいつまでも不思議と残っていた。

それから4年が経ち、俺は無事に大学を卒業した。
あの日以来俺が由紀先生と会うことは無く、大学生活自体は由紀先生が言っていた程素晴らしいものでもなかったけど、それでも俺なりに悔いの無い学生生活を全うし、卒業後は平凡な就職をして現在に至っている。

恋愛についてはその後何人か深い関係になった女性はいたけれど、さすがにあの時の由紀先生との様な焦がれるような経験はしていない。
今でも大した恋愛経験を積んだわけじゃないし、これからも憧れの人との初体験を超えるような経験をするっていうのは難しいかもしれないけど、それはそれで仕方がないと思うし別に残念なことでもない。
俺にはひとつ大切な思い出がある。
それ以上でも以下でもなく、その事実だけで充分だと思っている。

最後に、なんで由紀先生は俺みたいな冴えない生徒とああいう関係になったのかっていうことがずっと俺の中では謎ではあったんだけど、後に親しくなったと知人の女性(彼女ではない)に何かの折にそんな話しをしたら、「母性本能がくすぐられちゃったってことじゃないの。タカシさんってそういうとこあるよ」と言われて、そんなもんかなーと思ったことがある。

当時、何をやってもどこか自信無さげな俺の姿が由紀先生にはもどかしく、それ故気にもなり、何とか成長させてあげたいという風に思わせた部分があったのかもしれない。

もちろん今となっては真相を確かめようも無い話ではあるけれど、もしいつか由紀先生と会う機会があればその辺りのことを聞いてみたいという気がしないわけでもない。

まぁ俺も当時の由紀先生の年齢をとっくに超えているし、由紀先生はさらにいい年齢になられている訳だから、もしそんな機会があったら少しは大人の会話が出来るかもしれないなーなんて考えることもある。

今は仕事に追われるしがないサラリーマンの思い出話はこれで終り。
なんか吐き出させてもらったって感じかな。
読んでくれた人ありがとうございました。

おわり。

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